学生が 勉強するは 当たり前2011年02月24日 20時14分00秒

勉強は学生がするもの。その考えがいけないんだと思う。だから多くの大人は、学校でたら学ばない。古い考えにしがみついて変わろうとしない。この国がなかなか元気にならない理由は、そこにあるんじゃないのか。

上記は「今日もブログのネタが思い浮かばない」と悩みながら、電車の中を見回した際に見つけたSoftBankの広告からのコピーなのだが、何気なく読んでみて腹立たしい事この上なかった。
SoftBankという企業は元から好きでなかったけれど、今回の広告を目にした事で更に嫌いなってきており、願わくはウィルコムに吸収されて消滅してほしいとさえ思う。

日本が元気にならない理由を考える時、俺なら冒頭のような文章を書いてみせる社会人が存在しているからだと思う。
何故なら問題にしている文章を書いた人間は、学生時代に勉強をしてこなかったか、社会人になって汗水を流しながら働いた経験がないと思われるからだ。
それというのも「勉強は学生がするもの」を古い考えと書いているが、正しくは「学生は勉強するもの」であって、示すべき意味から間違っている事にも気付かない様子が伺える。
つまり、書いている本人が「大人になれば勉強をしなくて良い」と馬鹿げた考えを、常識として世間一般で囁かれていると妄想していると推測される。

更に「多くの大人は、学校でたら学ばない」という話しも大きな間違えで、大人となって責任のある仕事へ就くようになると、のんきに机へ向かって勉強なんて言っている暇が無くなり、したくても出来なくなってしまう。
もちろん社会人へなった後も休日はあるけれど、学生ほどゆとりがなくて次の1週間を乗り切るための休養に終わったり、家事や家族サービスに追われて勉強に充てる時間が作れなかったりする。
こういった生活を送っている人間からすれば、冒頭の文章を書いた人物は心臓が潰れるような責任を背負った経験がなく、叱られない程度に手を抜いた仕事しかしないような、酷く程度の低い人間なのだと想像する。

そもそもに「学生は勉強するもの」という発想について言えば、子供を学校へ通わせるのにも、親は教育費という負担を強いられる事になる。
つまり、親に負担を掛けてまで学校へ通わせてもらっている身分で、ろくに勉強もしないで遊び歩いて許されるはずがない。
どうしても学生という肩書きのまま遊びたいのであれば、自分の力で生活費を工面しながら授業料を支払った上で自由にすべきだ。
学生よりも以前に親のすねをかじっている時点で、子供は親の期待に応える義務を背負っていると思うべきだ。
もちろん義務教育の期間なら遊びも勉強の内だと言えるけど、高校や大学へ進学するのであれば、学生は自分の身分を考えるべきだと思う。