感謝など される謂われは ないのだが・・・2010年12月04日 20時01分28秒

台所に置いてある水切りカゴが随分と汚れており、先月に苦しんだ腹痛の原因となっている可能性があるので、先々週から掃除を行う機会を伺っていたのだが、今日は朝から暖かくて水回りの作業も辛くなさそうだった。
家族が誰も1階にに居なかった事もあって、掃除をしている横から邪魔をされる心配もないと好条件が揃っていたので、朝食もそこそこに作業を開始して水切りカゴとシンクを2時間ほど掛けて綺麗にしておいた。

作業も終盤へ差し掛かった頃に、父親が降りてきて「掃除をしてくれてありがとう」なんて聞きたくもない台詞を吐かれた事を除けば、心地よい疲労感の中で作業を終えることができた。
俺にとって掃除は自信の健康を維持するための行為であり、住まわせてもらっている事へ対する感謝であって、家長である父親から礼を言われる理由がないと思っている。
それ故に父親が安易に吐く「ありがとう」という言葉が嫌いで、気付かれぬよう影で掃除をしていても、目が悪くて手触りを頼りに作業をしているので時間が掛かってしまい、今日のように見られてしまう場面が多い。

「ありがとう」と言われて不快に感じる必要はないのだろうが、疫病神と呼んで嫌っている姉貴が、自分の行為へ対する感謝を過剰に要求する人間であるため、礼を言われて喜ぶ行為が悪に思えて仕方がない。
悪口ではないのだから感謝されておけば良いのかも知れないが、素直に言葉を受け取ってしまうと、行動に中に秘めた恩返しの気持ちが自分で否定する事となりそうで、嫌悪感の方が先に立ってしまう。

我ながら面倒な考えの持ち主だと呆れてしまう。

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