金格子 外れた先の 闇を踏む2009年12月24日 22時12分28秒

火曜の帰り道に駐輪場の敷地内へ入って、排水溝の金格子を頼りにしながら歩いていると、左足を踏み出した先にあるべき地面の感触が無くて、足裏から地面よりも深い所にある闇に飲み込まれるような悪寒を感じた。
異常が発生したことを理解するよりも早く体が反応していて、軸足として残っていた右足に重心を移して体制を立て直し、深く沈み込もうとしていた左足を中空で静止させた。
条件反射が如何に優れていようと、加速を始めた全体重を片足で支えるのは容易なことではなく、踏むべき地面を見失った左足が静止するまでに10cmくらい沈み込んだ地点だった。

足が沈み込む途中で一瞬だけ触れた物が金属音を立てながら揺れていて、何度かふくらはぎを叩いていた。
感触と音から本来なら踏むべき場所にあるはずだった排水溝の蓋であることはすぐに分かったが、何故に外れているのか全く理解できなかった。
俺は夜盲症なんて障害のおかげで失明常態での歩行に慣れているから、足場が消え失せるハプニングにも条件反射だけで対応できるが、普通の人なら完全に足を踏み外して転落や転倒の末に大怪我をする危険性も高い。
まして、仕事に疲れて呆然としていたり、アルコールが入っていたりするサラリーマンが被害に遭っていたらと考えると、血生臭い妄想が頭の中を埋め尽くしていく。

それにしても我ながら条件反射の一言で済ませるのは惜しいと感じるほど複雑な動きを、さらりとやってのける自分の神経に感心してしまう。
先ほどに「重心を右足へ移して態勢を立て直した」と言っていたが、踏み出した左足へ乗るはずだった重心を引き戻そうとすれば、腰を落としながら常態を傾け、軸足の膝を緩めて腰を後方へスライドさせる。
上記の行動で加速方向を転換してながら態勢を立て直していくのだが、言葉で言い表すのにも苦労する複雑な行動を無意識下でやってのけるのだから、人間の慣れというのは凄まじい特性だと感心するばかりだ。

この高度な条件反射を身に付ける必要があるほど、危険の多い人生を送ってきた事を意味している反面もあるが、苦労した分だけ助けられる場面も多い。
特に酔っぱらっていても転んだりする事もないし、子供らに揉みくちゃにされても倒れ込んで潰してしまう危険もない。
それに重心移動に長けている事で揺れる電車の中でも、両手を使ってキーボードを叩くことができるからこそ、帰り道にブログを更新することも可能となっている。