足取りが 重たく辛い 帰り道2009年12月08日 20時33分32秒

依然として精神状態が安定してくれない今日この頃だけど、少しずつ手を動かせる時間が増えてきている感覚が持てる事を唯一の救いとして、重たい頭を必死に動かしていた。
出来ることなら今日も早めに帰宅して、同人の作業を進める時間を確保したいのだけど、困った事に姉貴が在宅している可能性が高いから自然と足が帰り道から逸れてしまい家が遠のいてしまう。
昨夜も帰宅したら居るはずがないと思っていた姉貴が食卓に着いていて、その姿を視認した瞬間は絶望を味わったか時に匹敵する深さの脱力感が襲ってきて、膝を折って崩れ落ちたい気分だった。

姉貴と同じ空間に居たくなかったので、ストレス源と呼ぶべき存在がリビングから立ち去るのを待つことは確定として、何処で時間を潰すかと考えながら着替えを済ませた。
続けて弁当箱を洗っている時、父親が「明日は休みなのか?」と何の脈絡があるのか理解できない質問を投げ掛けて、何を訳の分からない事を言っているのかと苛ついてしまい、吐き捨てるような言葉で否定した。
完全に変な方向へスイッチが入ってしまった事から自室へ戻ったとしても、まともな作業は出来そうにないと判断して、暖かな食卓を通り過ぎて風呂場へと向かった。
久しぶりに暖かな夕食が食べられると思ったのに、姉貴の存在が全てを破壊してくれて、ストレス源どころか疫病神に思えて仕方がなかった。

脱衣所で袖を通したばかりの部屋着を脱ぎながら、父親が投げてきた質問がどういった経緯で出されたのか考えてみると、姉貴が翌日に会社を休む予定となっていたのではないかと推測された。
それと同時に休暇を取ろうとする前日に余裕を持って、早めに帰宅できるとは考えにくいから、昨日も会社を休んでいたと思って間違えないと感じた。
となると、普通の順路で行けば夕食を姉貴が用意しているはずなのに、昨夜は父親が準備をしていて、姉貴が会社も家事もサボった可能性へ推理が及んだところで思考をシャットダウンした。
なぜなら、あのまま推理を続けていたら怒りや憤りで頭が満杯となってしまって、折角に治りかけた心が再び崩壊してしてしまう恐れがあったからだ。

夜が明けた今朝も出勤時に確認してみると、本来なら出て行っているはずの姉貴のスクーターが家の前に停まっていて、やはり会社を休んでいる事実が確定された。
もしかしたら出掛けて家に居ない可能性もあるけれど、確証が偉ないだけに帰宅を早める気分になれなくて、足取りが重たくなってしまう。
何故に安らぎの場であるはずの自宅で苦痛を感じなければならないのだろうか。