絶望の 影に怯える 帰り道2009年08月18日 22時26分59秒

帰りの電車が気になるほど遅くまで頑張っていても、一向に作業が進んでくれない状況の中で心が折れそうな状況で頭を抱え続けていた。
やはり不慣れな言語で 2週間という短いスパンでシステムを組み上げようなんて無理があったのではないか、と泣き言が口から漏れそうになるのを必至に堪えながらの帰宅を急いでいる。
精魂共に尽き果てながらも依然として頭の半分以上が上手く行っていない仕事のことを考え続けていて、ノイローゼと呼んでも良さそうな状態へ陥っている。

疲労は既にピークへ達していて曜日さえも思い出せなくなっていて、つい数分前まで目標の夜が更けていっていると勘違いして、人生の終焉を迎えたかのような絶望感を味わってしまった。
幸いにして絶望を感じ始めて数歩の内に違和感に気が付いて、今日がかようであることを思い出してホッとしたけれど、やはり時間的な余裕は微塵なく事実に変わりはなくてプレッシャーから解放された時間はわずか数秒だった。
幸か不幸か分からないが、自宅に開発環境を用意していないので帰宅してしまえば否が応でも仕事から離れることになるので限界を超えて倒れ込むような事態に陥ることは無さそうだ。
もっとも今後に会社へ泊まり込んでの作業なんて事態は想定しうる状況なだけに油断をしてならず、できる限り体を休めて明日に備えるのが現在の最重要課題だ。
そうは言っても、既に空腹感も忘れそうな状況で生活リズムが乱れている状態で何処まで体と心を休めることができるのか大きな疑問を感じざる終えない。


色々と重たい物を感じている帰り道、電車で大学生と思われるグループと乗り合わせたのだけど、責任なんて背負ったことの無さそうな堕落した姿を見ていると、改めて学生と呼ばれている時期が人生で最も楽な時代なのだと思わされる。
最もろくに勉強もせず夜遊びに興じているような連中が大きな責任を背負うようなリスクを犯すとは思えないから、今の俺と同じような重圧を感じるという場面はまずないだろう。
どちらが楽な生き方なのかと聞かれればリスクの少ない人生の方が良いのかも知れないが、死へ直面した時に後悔せず逝けるのはリスクを乗り越えた人だと思う。

何よりも楽ばかりを選択していたら生きている実感さえも持てない気がするから、電車で見かけた堕落した学生のような生活へ憧れる気持ちは微塵も感じなかった。
やはり虚無な時間を過ごしていては生きながらにして死んでいるようなものだと思うし、きっと今の辛さから抜け出した先に大きな達成感が待っていてくれる信じてみよう。
そう思っている矢先、過去の経験から何とか形になった後も不安に狩られて悶絶を繰り返す日々が続くに決まっていると囁く自分が居たりする悲しさをどう飲み込めばよいのかを誰か教えてくれないだろうか。