原点を 忘れて迷い 書き直し2009年07月29日 21時23分29秒

今日は久しぶりにブログの記事を書くのに苦戦していて、何やら空腹とは別の形で胃袋がキリキリと痛み出したりしている。
最初は子供達が夏休みに入った事で通勤風景が変わってきた事をネタにしようと考えて書き始めたのだが、思うように話が全く広がらなくて気が付けば冒頭の数行を10回に近くも書き直していた。
もちろん冒頭が書き始められないのだから本編が進むはずもなく、本来なら記事を書き上げているはずの時間になっても、話の筋道すら見えていない始末だ。

煮詰まった態で悩んでいても仕方がないので、最初から書き直す事にして記事を真っ新の状態へ戻してから、何故に筆が進まなかったのかと振り返ってみた。
とはいっても、今回の失敗は過去にも経験したことがある原因だったから見付ける事は大して難しくはなかった。
問題があるとすれば「何故に同じ過ちを繰り返してしまったのか」という反省ができていなかった事にある。

失敗の原因はブログのネタにしようと思った時と、実際に書き始めた時とでイメージしている物が異なっていた事にある。
今回の場合は夏休みに関わる出来事の 1つから話を発展させる予定でいたのに、何故か事の発端である出来事が欠落して派生させる形で書くはずだった話から手を付けていた。
そのため話の道筋で重要な出発点が定まらず、行き先や目的地はおろか足下の道すら見失ってしまったわけだ。
何事においてもスタート地点というのは重要なわけで、そこを見誤ってしまったら上手く行かなくても当たり前だ。

そんなわけで出鼻を大きく挫かれてしまったわけだが、改めてネタにしようと思った出来事を捉え直してみると、スタート地点を間違えてしまった理由が少しだけ分かった気がする。
何故なら夏休みをネタにしようと思った出来事というのが、朝の通勤途中に水着袋を携えた 2人組の少女を見掛けた事で、書き方によっては自分が変態に映ってしまうのではないかと若干の不安を感じるためだ。
今回の場合は特に 2人の少女から見えてきた事柄があまりにも多くて、全てを書いていたら、何処かで要らぬ地雷を仕掛けてしまいそうで恐ろしいと心の何処かで感じていて、話の導入部に少女の話を出すのを避けたのかも知れない。

夏休みに入っているのだから水着袋を持っている子供がいても何ら不思議はないわけだが、夏休みが始まっている事を大きく意識させられた最初の出来事だったので印象深かった。
しかも、少女達が手にしていた水着袋が俺の小学校時代から全く変わらないデザインだった事もあって、強い懐かしさや何やら色々と感じさせられた事も強く意識した原因の 1つでもある。
更に言えば、夏休みが始まったばかりだというのに、夏を強く感じさせる小麦色の肌に満面の笑顔と、夏休みを楽しんでいる子供の姿を絵に描いたかのような光景だった。

そんな子供達を見ていると懐かしさと羨ましさを感じてくるのだけど、自分の子供時代を思い返した辺りでテンションが下がり始めてしまう。
何故なら俺の夏休みはその半分が暇を持て余している時間で、楽しい思い出よりも寂しさを感じていた記憶の方が多いためだ。
両親が共働きだった家庭なら珍しくもないと思うが、俺の場合は近所にいる同年代の子供達が一斉に旅行へ出てしまうため、色々な意味で置いてきぼりにされた気になっていたのを今でも良く覚えている。

もっとも暇を持て余していたので夏休みの宿題は最初の 1週間とかで終わらせていたから、良く耳にする夏休みの最終日で涙を流すような事態は経験した事がない。。

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