息抜きに 画集を眺め 気が抜ける2009年03月10日 19時37分08秒

今日は昨日に無理をして残業をして作業を進めておいた事もあって、夕方頃に一息入れる余裕を見つける事ができた。
小休止として外出することもあるのだけど、この時期は花粉症が悪化する危険性が高いので、ネット上で拾ってきた画像や動画を見て気晴らしをしている。
動画の方は音が漏れて何を見ているのかが他の社員に知られて、偏った趣味をネタに揚げ足を取られた事があったのが嫌になって、最近では一人で楽しめる画像の閲覧をしている事が多い。

俺は絵心というものが全くない上に 4歳児の絵と区別が付かないとか言われたとか幾つかのトラウマもあって、絵は全く描けない。
その反動からか他人の絵を見るのは好きでダウンロードに30秒とか掛かっていた時代から大量の画像を収集してきた。
今は時間がなかったり、ネットゲームなど他の楽しみができて随分と歌集周するペースは落ちているけど、嫌いになったわけではないので順調に枚数は増えている。

現状を正確に把握することは難しい状態で重複している画像なんか当たり前のようにあるし、ジャンル分けだってままならない。
何といってもファイル圧縮を施した状態でも20GBとか有り得ない容量を食っているのだから我が事ながら呆れてしまう。
つい先日に HDDを追加しなければならない状況を作り出した一因が画像フォルダにあることは言うまでもない。
ここ最近は外付け HDDへ対比させるついでに多少の整理を始めたのだけど、一生をかけないと終わらない気がしている。

それだけ大量に保有している画像の束からランダムに観賞用を引っ張り出して USBメモリへ放り込み仕事中の息抜きで眺めているわけだ。
「画像を見ていて何が楽しいのか」という話だけど、一番はやはり現実逃避をする最短コースだからだろうか。
特にアニメやゲームのキャラクターが描かれた画像は何のシーンなのか前後を想像するとか現実逃避より更に一歩先の領域まで踏み込めるから好きだ。

とにかく仕事のことを忘れたいと思った時はオタクモードのスイッチを入れるのが一番なのだが、このところ仕事モードに戻すのに時間が要するようになってきた。
しっかりと切り替えができるようにしないと諸刃の剣となってしまうので注意しなければならない。
息抜きも大事だがメリハリを付けられないようじゃ意味がない。

川底に 沈み続けて 二十年2009年03月11日 19時53分34秒

24年くらい前の阪神タイガース優勝に沸く道頓堀で、川へ投げ込まれて浮かんでこなかったカーネルサンダースの人形が引き揚げられた。
長いこと川底に沈んでいた影響で塗装は剥がれており、下半身は依然として行方不明という状態で何処となく「呪いの」なんて冠詞を付けて呼びたい雰囲気だった。
そんな見るも無惨な状態だけど原型をしっかりと留めていた辺りは軽く感動すら覚えてしまう。

人形が川へ放り込まれた時の優勝以降は阪神タイガースは低迷を続けていて「カーネルサンダースの呪い」と言われた時期もあって、これで呪いが解けたから優勝できるなんて行っている人もいるらしい。
そういえば、俺が最初にこの話題をテレビで見た時の映像は業者に抱えられて事務所へ運び込まれるカーネルサンダース人形の下へ記者がカメラを回しながら走り寄る光景だった。

記者の声は嬉しそうな表情が思い浮かぶほどに感情豊かだった印象があって、人形を運んでいる業者も何処か楽しそうだったイメージがある。
たかがヘドロの下で薄汚れた人形の上半身だけで、見ている方まで楽しい気分にさせてくれる映像は何とも言えない魅力を感じた。
冷静になってみれば「こんな馬鹿なことで喜べるなんて幸せだな」と思ってしまうのだけど、残念ながら自分も下らない事で笑っていた 1人だったりする。

それにしても24年前と言えば、俺が小学校へ入学する以前から川底に沈んでいた事になるわけで、そう考えれば随分と長いこと川底にいたものだ。
逆の視点から見ると20年以上も大人と同じ大きさを有する人形が発見できないほど汚れているという事実は想像を絶する物がある。
何かにつけて道頓堀川へ飛び込むという映像を目にする機会があるが、下手をして人形と同じく浮かび上がってこない人があっても不思議はないわけだ。
しきりに危険だから飛び込むなと言われている理由を改めて思い知らされるニュースでもあった。

何にしても久しぶりに笑わせてもらえる良いネタでよかったと思う。
これで生き別れになっている下半身も発見されて新しいシンボルとかになったりしたらもう一笑いできるのだが、望みの方はどのくらいあるのだろうか。

ランキング 見えてしまうと 気になって2009年03月12日 21時12分11秒

今月に入ってからブログの管理者画面が更新されて、現在のランキング順位が表示されるようになった。
ここ数日の順位を見ていると希に 150位くらいまで上がることがあるけれど 200位がこのブログの平均順位らしい。
ランキングと一緒にランダム表示の一言コメントが表示されるのだが、その内容を見ている限りでは低めの順位のようだ。

元よりランキングとか狙えるほど面白い記事が書けるわけがないと諦めている駄目な管理者だけど、さすがにランダムコメントに励まされたりすると少しムカッと来る。
ムカッとした事で少し記事の内容を考えようとする姿勢を出している今日この頃なのだが、残念なことに姿勢が変わったからと言って都合良く面白いネタが見つかるわけでもない。
何より仕事帰りの疲れた脳味噌では元から難のある文書能力が更に低下してしまって、考えている事が上手く書けなくて泣きそうになる場面さえもある。
加えて、ここ最近は電車の中で異様な眠気に襲われて本題を忘れてしまって詰めのない話となってしまう日もあった。

こんな状態だと1日1記事と言っても内容が薄っぺらい記事ばかりでは意味がないと反省をするのだけど、改善策が思い浮かばなくて言葉だけになってしまう。
何かシリーズで語っていける内容があれば良いのだけど、定期的にアップできるような手頃なネタは簡単に見つかるはずもない。
そんな美味しいネタがあるなら今に悩んでいたりはしない。

手頃じゃないネタなら在るのか、というと無いことはない。
プログラミング関係に話題なら入門編とかやることはできるし、大学や会社でも簡単な講義をした経験もあって評判は悪くなかった。
ちなみに上記の講義で題材はフローチャートという処理の流れを整理する時に使う図形の話だった。
俺は基本中の基本であると同時に必須強化だと思うのだけど、大学や新人研修なんかでは不思議とないがしろにされている。
講義を聞いてくれた人の感想も「最初にこの話を聞きたかった」といった感じで、古いとか言われる現在でも十分に通じる話だと確信している。

この際だから不定期連載という形ででも始めてみようかな。
とか言い出すと、管理者画面にランキングを表示させた人の思惑にハマった事になるのだろうか?
そう思うと踊らされた気がして少し嫌だな。

乗ったのは 一度だけでも 寂しいな2009年03月13日 22時50分42秒

東京から九州までの長距離を 1本で結んでいた寝台特急が配線となり、今日が最後の運行だというニュースを耳にした。
その寝台特急へ過去に 1度だけ乗ったことがあるのだけど、あまり良い思い出がなかったせいもあってか利用した経験がある事を完全に忘れていた。
もっとも通勤電車でさえも乗り物酔いを起こすことがある程に箱物の乗り物が苦手な人間が夜通し電車に乗らされて楽しいはずがないのは当たり前だ。
しかも、割り当てられた寝床は二段ベッドの上段という絶望的な場所だった上に、高校の修学旅行で利用していたから馬鹿共がうるさくて速攻で寝てしまう作戦にも失敗する始末だ。

そもそも高校の修学旅行は行き先を決める時点で妙な話になっていて、旅行そのものが最初から最後まで最低の最悪だった。
どの辺が変だったのかというと行き先を決める時点で狂っていて、俺達の世代から修学旅行に飛行機が使えるようになった事もあってアンケートの結果は断然トップで北海道となった。
しかし、前年度の修学旅行も北海道だったために予算がなかったのか「九州・中国・関西の希望者を合計すると北海道の人数を超える」とか訳の分からない理屈で行き先が変えられてしまった。
もちろん当然のように 2回目のアンケートは行われず、かくして修学旅行の全行程で移動時間の占有率 70%なんて馬鹿げた計画が決定してしまった。

その馬鹿げた旅行のスタートが例の寝台特急だったわけで、良い思い出を残せと言われても無理な話である。
ちなみに騒がしい連中のおかげで乗り物酔いを発症する前に寝てしまう作戦に失敗してしまった後は上段のベッドにいることはできなくて、ドアの近くにある広いスペースで立ち寝をして夜を明かしてしまった。
もしかしたら、寝台特急なのにベッドで一睡もしなかった乗客なんて追れくらいなのではないかと思う。

それにしても高校の修学旅行は今に思い返してみても酷くて、寝台特急を降りた後は休む間もなくバスへ押し込まれてハウステンボスへ連行された。
ハウステンボスに着いたら今度は園内を移動する船に乗せられて入場門の反対側へ流されて、各自別行動で制限時間内に入場門まで戻ってくるようにと指示されたと記憶してる。
僅か 1日の間に電車・バス・船と乗り物を乗り継ぎ続けて、乗り物酔いでフラフラとなっていた記憶しかない。

そんな辛いだけの修学旅行の一幕で乗っただけの寝台特急だが、何となく無くなってしまうと聞くと寂しい思いに駆られる。
特に利用客のインタビューで高齢のお婆さんが寝台特急がなくなったら乗り換えを何度もする事になるから一人で長旅ができなくなると話していたのが印象に残っている。
考えてみれば東京から九州まで 1本の路線で行けるなんて他にないから、階段が辛い高齢者には重宝したことだろう。

時代の流れとはいえ、何かが消えていくというのは寂しいものだ。

大切な 休日なのに 何してた?2009年03月14日 22時02分01秒

明日は日曜だけど休日出勤をする予定となっているため、必然的に今週の休みは今日だけとなるため大事に使いたいところだ。
しかし、残念ながら午前中は通院の予定が入っていて完全に潰されるので休日して活用できるのは午後のみだった。
できれば、少し体を動かしたいと思ったのだが、朝方か遅くても正午までには晴れるとの天気予報が外れて生憎の空模様が続いて、雨脚が弱まる時間はあっても水溜まりから波紋が消える事は無かった。

雨の強さよりも風が激しい変化を見せていて、突風だと思った風が何時まで経っても収まらず、突風ではなく急激に風が強くなったのだと理解するのに数分を要したほどだ。
その変化との凄まじさは台風の目から出てしまった時と似たような印象を受けるほどに急激だったのだけど、遠くの空を見てみると黒い雨雲と日光が透けて見える白い雲が線を引いたように綺麗に別れていた。
空模様が綺麗に別れるという事は文字通り天気の変わり目が存在する証拠であり、風の変化があっても不思議ではない。
しかも、空模様が白と黒で分断されているのだから、それこそ台風の目の内と外くらいの変化があってもおかしくはないのだろう。

理屈を並べて理解はできるけれど、僅かな休日を天気に翻弄されてしまう現実は納得できるものではない。
しかも、天気に影響されたのか体調が悪くて、病院へ向かって自転車を走らせている途中から寒気を感じる始末だ。
寒気を背負いながら通院を終えて、毎週の高齢となっているToda氏と共に行き付けの料理屋で昼食を食べている時なんか眠くて仕方がなかった。

そんな調子でフラフラと帰宅したのだけど、昼食を食べ終わって30分と経過していないのに空腹感に襲われるという異常事態が発生して食欲に負けて切り餅を 3個ほど追加してしまった。
これだけ食べて満腹になれば眠くなるだろうと思っていたのだが、何故か帰宅前に感じていた眠気が何処かへ行って戻ってこない。
仕方がないので暖房を前回にした自室でデータ整理という単純作業をしながら眠気を待っていたのだが、結局は一睡もしないまま夕食時を迎えてしまった。

現在は室温22度と普段なら暑くて気持ち悪くなりそうな温度が快適とか言っている状態で明らかに体調は狂ったままだ。
それなのに眠くならないという意味不明な状態で、明日の休日出勤に支障を来すのではないかと不安を感じる。
何というか眠れないなら連載記事の原稿とか書いていたところなのに、折角の休日を無駄にした気がして精神的にも良くない。
我が事ながら、眠いのか眠くないのかハッキリしてくれと文句を言いたい。

やりたいと 思う時ほど 暇がない2009年03月15日 20時16分54秒

今日は休日出勤となっていて日曜なのに平日と同じ時間に家を出て通勤電車へ揺られてきた。
作業の方は順調に進めば定時帰りができるかと思っていたのだが、俺の人生は順調という言葉とは縁遠いらしく見事にトラブってくれて 1時間ほど遅れての帰宅となった。
今回のトラブルは依頼主から送られてきたデータに大量の不整合が含まれていた事が原因、それも人為的なミスの香りが漂っているオマケ付きで魂が抜けるほどの脱力感を味わう羽目となった。

何と言っても先方が正しいと太鼓判を押してくれたマスタデータに 3割を越える不整合が混じっていたのだから堪らない。
恐らく 1件や 2件のミスならマスタデータの方を疑っただろうが 3割まで行くと自分のプログラムにミスがある思い込んでも仕方がない。
最終的にデータ構造を熟知しているG社長に確認してもらうと年度事に管理番号が変わっているとか意味不明な状況が見つかって、ようやっとマスタデータの不整合が原因だと判明して落ち着いた。

やりたい事がある日曜に休日出勤をしてきて、先方が犯したミスのせいで作業が進まないという状況は非常に腹立たしい。
天気にしたって唯一の休みだった土曜が曇り空だったのに対して、休みを返上した日曜は快晴のお出掛け日和と来たもんだ。
このところ運動不足気味な事もあって、出勤途中に青空を見上げていたら駅を通り過ぎて何処か遠くへ行きたい気分になったもんだ。

せめて、スッキリとした気分で家路に就けていたら記事の内容も変わったと思うのだが現状としては不満しか出てこない。
できる事なら定時帰りをしてやる気を出している連載記事の原稿を作り始めたかったのだが現状では難しそうだ。
こういう状況が長く続いてしまうと折角のやる気も消え失せてしまいそうで不安になるし、本当にやりたい事がある時ほど時間を潰されると苛々としやすくなって良くない。
やりたい事ができる時間を確保するという目標を立てられれば少し心の持ちようが変わるのだろうが、俺はそういう切り替えは苦手らしい。

ただ単にやりたい事を思った時にしたいと駄々をこねているだけなのだが、どうにも自分をコントロールできなくなっている。
何とも情けない限りだが、経済的にも時間的にも余裕がない現状では仕方がないとか言い訳をしてみる今日この頃だ。

危ないと 知っているから 面白い2009年03月16日 20時47分35秒

我が家の暖房は依然として古めかしくヤカンを乗せて暖める事ができるストーブがメインで動いている。
ストーブの上で沸騰したヤカンは大半が加湿器代わりとなって、ストーブを消した後は湯冷ましにするか湯船へ流し込んで保温の足しにしている。

昨夜も例によってストーブの上にヤカンが鎮座していたのだけど、沸騰している音は聞こえていなかった。
父親が湯冷ましにして置いてほしいと言っていたのだけど、若洲のが面倒くさくて聞かなかった事にしてしまおうかとも考えた。
何より父親は泥酔状態だったから頼み事をした記憶は朝まで残っていないだろうから何ら問題もない、という事情もあって本気で無視しようかと思案していた。

最終的な結論として、コンロに掛けてみて、入浴後の着替えを用意する間に沸騰する気配が感じられなければ湯船に流し込む事にした。
思案に結論が出たところでストーブの火を消して、ヤカンをコンロの火に掛けた瞬間からヤカンの底で水蒸気ができる音が聞こえてきた。
音を聞いた時点で即座にコンロの火を右手で消して、左手は予想外の音を立て始めたヤカンの蓋を外していた。
蓋の向こうに通常なら発生しない程に大きな水泡がヤカンの水面に上がってくる光景が見えた。
水泡は徐々が小さくなるに連れて一気に数が増えていき、最初にヤカンが音を立ててから 1秒と経たずに水柱を作りそうな勢いで沸騰し始めた。

いわゆると突沸と呼ばれる現象で、電子レンジで水を加熱した時などに発生して火傷を負う事故の原因となったりする。
通常の加熱では日の当たる場所から暑くなるため、対流という水の流れができて水流に刺激されて 100度を超えた水は水蒸気へ変わっていく。
これが通常の沸騰なのだが電子レンジで加熱した場合は対流が起こらず、容器の中の水全体が沸騰できる状態で待機する格好となってしまう。
その状態で容器を取り出そうとしたりするとその刺激が引き金となって全ての水が一斉に沸騰する事があり、これが突沸と呼ばれる現象だ。

突沸現象は味噌汁のような色々な物が混ざった液体で起こすと爆発と呼ぶべき勢いになるので遊び半分で試すのは止めておいた方が良い。
以前に突沸現象で飛散した水滴が目に入ったなんて事故も起きているので遊びでは済まされない事態になりうるので注意してほしい。

こんな注意書きをした後で何なのだが、実のところコンロの火を止めた時点でヤカンが突沸現象を起こしている事実を把握している自分がいた。
何故にそう思うかというと、火を消すのと同時にヤカンの蓋を取ったと離しているのだが、蓋を取るという行為は本来なら不要な行動なんだ。
蓋が邪魔になる場面は観察しようと思った時くらいで、あの時は明らかにみたいと思って危険を承知で手を伸ばしていた。

もちろん蓋を取った後はしっかりと距離を取って安全を確保してから観察していたわけだけど、久しぶりに火遊びをしている時のような高揚感を味わえた。
意図せずに起こった上に止めることも出来なかったから見て楽しむという選択肢を取ったわけだけど 1秒にも満たない時間で言い訳まで考えている自分に少し呆れてしまう。

重ねて言いますが、危険ですので意図的に発生させるのは止めましょう。

風邪らしいが夢を視た2009年03月17日 06時25分39秒

今朝は布団の中で眠い目を擦りながら目覚めたのだが、どうにも背中に寒気を感じる上に喉が荒れていたりして風邪の初期症状が出ていた。
そんな感じで目覚めの気分は良くなかったのだけど、睡眠リズムは安定していて夢を見るオマケまで付いてきた。

今日の夢は随分と長編で、俺は人間と思えないレベルで泳ぎが得意という設定の人物になっていた。
当然のように水の中を泳いだりする内容の夢だったのだけど、不思議と尿意を催して目を覚ますといったパターンにはならなかった。
恐らくは泳いで遊ぶという話が本筋ではなくて、ふとした切っ掛けで行動を共にする事となった小さな船の一員として奇襲部隊として活躍するのがメインだったためだろう。

乗っていた船は木造の帆船で数名の気の合う仲間と共に戦争へと駆り出されていたのだけど、切った張ったの場面はなくて相手を罠にはめて行動不能にする無血戦闘をしていた。
最もその殆どが知恵を使って罠に落とすのではなく、俺が持つ人間離れした泳ぎを利用して罠に落とす力業だった。

そんな穏やかな戦争(?)を繰り返していたある日、所属する船団から離れて、岩陰の裏を回って敵陣営の脇から奇襲する作戦が行われることになる。
難所だらけの岩陰を順調に進んで岩の切れ目から抜け出せば敵陣営の横っ腹を突けるはずだったのだが、目の前には何もなかった。
敵陣営はもちろん見方の姿も戦闘の痕跡さえも見つけれず仕方がないので近くの島へと行ってみると、自軍が何らかの形で敗北して捕虜になっている事を知る。

自軍の救出へ向かおうとするけれど、敵軍が自分達を捜していて思うように行動できない。
仕方がないので人気の少ない底なし沼を臨む崖の物陰で様子を見つつ、救出作戦を練ることになった。
この時点で行動を共にしていたのは女性 3人、男性 1人に俺を加えた僅か 5人のパーティーだった。

敵軍の捜索隊の目がすぐ近くにまで及んでいたため、崖を少し降りたのだけど戻ろうと足を取られて抜け出せなくなっていた。
その時になって初めて崖さえも底なし沼の一部である事に気が付いたのだけど、時は既に遅くて全く身動きが取れずパーティ全員と抱き合う体勢でジワジワと崖から引きずり下ろされていく。
さすがに駄目かと思った所で運良く崖にできた横穴へ滑り落ちて、底なし沼へ飲まれる機器は脱することに成功した。

しかし、壁さえも底なし沼の一部という事は崖を登る事ができないわけで洞窟の奧に抜け道がなければ捕虜となった見方を助ける事は愚か自分達が生き延びる事さえもできない。
不安がるパーティーを「主人公である俺がいるのだから大丈夫」と御都合主義を肯定する発言で励ましながら洞窟の奧へと進んでいる。

程なくしてすり鉢状の開けた空間にでたのだけど、その形状は先ほどの底なし沼を綺麗にしたような形となっていた。
嫌な予感がすると皆で話していると、巨人になったガリバーを思わせるオタク臭のする小太りな男性が登場した。
大きな声で呼びかけて巨人に救出してもらって、一難を乗り越えたまでは良いのだが、先ほどのすり鉢は水洗トイレの便器という嫌な場所だった。
しかも、異世界と繋がっているトイレという設定で異世界ファンタージを台無しにする設定となっていた。

ひとまず状況を把握したかったのだけどトイレの中という場所を女性陣が酷く嫌がったため、取りあえず外へ連れて行ってもらうことになった。
何故かトイレから出るのに2mほどの通路が通り抜けるという異質な手順を踏んでいると、何時の間にやら小人サイズだった体が普通のサイズに戻っていた。
話を始めようと思ったところで再び女性陣から水着姿が嫌だから服を貸してほしいと言い出したために、再び話の腰を折られる格好となる。

先ほどに助けれてくれた男性のコレクションなのかブルマやジャージといった体操服が提供されたのだけど、女性陣には不評だったのだけど仕方なく着込んでいた。
その後も好き勝手に行動する女性陣に何度も話の腰を折られ続けて、気が付けば室内でホースの水を掛け合うとか訳の分からない状況になって呆れ果ててしまった所で目が覚めた。


今日はやたらと水が多く出てくる夢だったのに不思議と尿意は催さなかった。
トイレまで登場したのにね・・・

泥酔し 記憶をなくす 飲んだくれ2009年03月17日 21時13分42秒

俺の父親は酒の飲み方が上手くなくて泥酔状態に陥ることも珍しくないのだが、酒を飲むと記憶力が著しく低下するため同じ話を何度も繰り返したりする。
この辺はまだ我慢できるのだけど酒を飲んで気が大きくならないと重要な話を切り出せない性分なのに泥酔すると記憶が飛んでしまうタイプというのが許せない。
もちろん酒を飲んでいる人との会話が噛み合うはずもなく、元より話し合いが成り立たないから重要な話をするつもりがないから記憶が飛んでいようと基本的には知ったことではない。

そんなわけで泥酔状態の父親とは関わらないようにしているのだが、日曜は父親が夕飯に得意のカツ丼を作ってくれる事に成っていたのに休日出勤が長引いてしまった。
俺は作り起きでも構わなかったのだが父親としては自慢のカツ丼だから出来立てを食べてほしかったそうで、帰宅時間に合わせて作るから駅へ着いたら連絡するように言われた。
さすがに料理をするために待機しているのだから酒は飲んでいないだろうと想像していたのだけど、駅で電話を掛けてみると泥酔している声が聞こえてきてゾッとした。

トンカツは既に揚げてあるのを知っていたから止めなかったけれど、火を使おうという時まで平気で酒を飲む非常識さに呆れてしまった。
そんな憂いよりも休日出勤で疲れた心で泥酔状態の父親の相手をしなければならない事実が帰り道を気重にしてくれた。
嫌だとは言っても空腹と疲労で道草を食うほどの体力も残っておらず、真っ直ぐに帰宅した。

帰宅してみると見事な泥酔状態の父親がリビングに生えていて、俺が食事をしている間に、今日の肉は何でどういった知り合いから仕入れたのかなどを語り続けていた。
俺はテレビでやっていた宇宙開発の歴史を紹介する番組を見たかったのだけど、父親が構ってくれとうるさくて半分も見ていられなかった。
しかも、父親は話を聞いている間に顔が見えないと気が済まない駄々っ子なので折角の温かいカツ丼が冷めてしまう始末だ。

そんなこんなで面倒な泥酔した父親の相手から解放された 2時間後、後片づけや入浴を済ませて自室へ戻ろうとした時に 2階からドタバタと物音が聞こえてきた。
何かと思ったら寝ているはずの父親が慌てた様子で降りてきて「飯を作らなきゃ」とか言い出した時は痴呆が始まったのかと心配してしまった。
恐らく泥酔して記憶力が低下している影響で自分が俺に 1時間近くも語り続けていた記憶が消えていたらしい。
幸いにして作ってもらった事とか説明したら 1分ほど考えてから「ああ、そういえば一緒にいたんだった」と思い出して布団へ戻っていった。

一応は記憶が消えているわけでないと判明してホッとしたけれど、あれほどの記憶障害を起こすような飲み方を繰り返していた近々に笑い話で済まない日が来るのではないかと不安にもなった。
やはり酒は適量にしなければ、なんてドクターストップを食らっている人間が言っても説得力がないか。

肩が寒い朝2009年03月18日 06時32分26秒

今朝は室温からすると暖かい朝のはずなのに、布団の中で肩が冷たいと感じていた。
昨日の日中から体調に陰りが見えていて、嫌な予感はしていたのだけど風邪か何かの症状が出ているのだろう。


そんな朝だけど、また夢を視た記憶が残っていたので簡単に記録してみる。

最初は昼食時の駅前で高校時代の相方と待ち合わせをしている場面から始まる。
少し待ち合わせ時間から遅れて登場した相方は赤錆の浮かぶボロボロの自転車を転がしながら登場した。
相方は昼食代の足しにするため持ってきた自転車を売りたいとか考えていて、俺はチェーンも無くなっている自転車では逆に処分費用を請求されるのがオチだと説明しながら歩いていた。
俺の説明に相方は納得するもののどうにかして現金化できないかと思案を続けて、新たな案を俺が否定するという繰り返しをしていた。

そんなくだらないながらも懐かしい会話をしていると背後をウロチョロとする気配がして、振り返ってみるとG社長に飼われている犬がボールを咥えて後ろを付いてきていた。
ボールを受け取って適当に放り投げてやると、物凄い勢いで走り出して咥えて帰ってきた。
ボール遊びを何度か繰り返していると、畑に突っ込んだ犬が巻き上げた砂で世界が茶色く染まり始めたため、畑の方へボールが行かないように注意し始める。
しかし、どういう訳か何かに当たって必ず畑の方へと飛んで行ってしまい、更に砂塵が巻き上げられる。

そんな砂塵の舞い散る世界が一変して、視界が晴れたかと思うと何故かゲームの世界へ迷い込んでいた。
ステージ的には PSOシリーズの坑道ダンジョンに似た印象なのだけど、一本道だらけとなっている。
俺の他にも何人かの仲間がいて、タイマン勝負でどちらが先に敵を倒すかを争うゲームらしい。

何かの賞品があって、それを獲得するための競争だったのだけど景品が何だったのかは思い出せない。
ワープの先の狭いスペースに 1匹だけいる敵を見つけて攻撃するパターンを延々と10回ほど繰り返した所で目が覚めてしまった。