青春に 嫉妬し始め 歳を知る2009年03月24日 20時48分17秒

朝の身支度をしながら横目で見ていたテレビで最近の卒業式で多く歌われるようになった「手紙」という歌の作曲者と離島にある中学の卒業生との交流を紹介していた。
島には高校がないので進学しようと思うと島を出なければならず、ふつうの中学校よりも思い入れの強い卒業式となっていて、ドキュメンタリーとしては良い雰囲気を出していた。
卒業式の歌を歌っている場面では本当に色々な想いが籠もっているだろう涙を必死に堪えながら歌っていて、そんな姿を見ながら不意に口から漏れた言葉は「青春してるな」なんて中年な匂いのする言葉だった。

もっとも来年になれば30代に成ってしまうわけだから台詞に中年が出てきても仕方がないが、そういう年齢的な傾向を無自覚に使っている自分の存在が酷くショッキングだった。
俺の人生の中で青春と呼べるような時間を全く見つけられないという悲しい事実が中年臭さが出てきたことに対する衝撃を何倍にも強くしている気がする。
それこそ怒りにすら近い感情が芽生えた感覚があったのだが、その勢いは何処へ向かっているのかも分からないような曖昧さだった。

一般的に静修と呼ばれる時間に何をしていたのかと考えてみると、前半は人間嫌いだったから殆どの時間を孤独に過ごしていた。
希に気の合う奴も居たけれど学校の中で少し喋るのが精々で、寄り道をして帰ることも帰宅後に遊びへ出掛ける事は全くなかった。
高校に入って俺と同じペースで自転車を走らせる相方ができたけれど、青春という言葉からは程遠くて、どちかと言えば男二人で漫才をしながら適当に走り回っていただけだ。
部活の方も適度にしか身を入れていなかったし、女性関係は中学の時に幼馴染みの女と関係を勘違いされた事くらいしか話題がない。

何より高校に入ってから人生の半分をPCの前で過ごしていそうな生活が始まっていて、異性はおろか人に対する興味を全く持たずに生きていた気がする。
人間嫌いの方は高校で徐々に改善されつつあったけれど根っこまで回復するような生易しくなくて、今でさえも時折に発現することがあるくらいだ。
要するに他人との関係が希薄で、何処か必ず距離を作っていた人間に青春なんて言葉は似合わなくて、今でさえ恋愛をしている自分を想像しようとすると悪寒を感じる始末だ。

そんな調子だから青春と呼ばれるような青臭い時間を過ごしたいとは思わないけれど、他人が青春をしているのを見ると妬ましいとか思ってしまう。
何やら無い物ねだりをして駄々をこねている子供のようで格好悪いけれど、少しは人生に楽しみを見つけたいとか思い始めた証拠と思っておこう。