命名も 楽にはできぬ この時勢2009年02月26日 21時00分23秒

不況や不景気に派遣切りなんて嫌な単語もすっかり聞き慣れてしまった今日この頃、派遣切りを行う会社は悪者であり、派遣切りにあって失業した派遣労働者が被害者という認識が方程式のように確率している気がする。
確かに派遣切りは褒められる行為でないのは確かだけど、派遣労働者の立場は不況になれば真っ先に解雇されるのが明白な危うい位置付けだったのは確かだ。
もちろん余力があるのに契約を途中で打ち切るような企業は悪人扱いされて当然だけど、やむなく人員削減を決断している所だってある。

そもそもに「どっちが悪い」という議題で決着が付くような問題ではないのに、テレビを見ていると最初の印象だけで固定観念を作ってしまうのだろうと呆れてしまう場面が多くなってきた。
今朝も同じような事を考えさせられるニュースがあったので、少し話題にしてみようと思う。

話題にしたいニュースというのは球場などの運営費用を賄うために導入され始めた命名権について、とある企業が新しい球場の命名権を購入したところ、一部の市民から非難の声が上がっているという内容だ。
冒頭の流れから予想された方もいると思うが、命名権を購入したのは地元の有名企業なのだけど大幅な人員削減として派遣切りを行ったばかりだった。
そのため命名権の購入費用15億円で雇用を維持する事はできなかったのかと元派遣社員や地元市民から避難の声が上がっているそうだ。
もちろん地元の有名企業が命名してくれた方が施設への愛着が沸くと理解する人も多いようだけど、命名権を購入する際にマイナス効果が生じる可能性を示す事例として紹介されていた。

確かに雇用の維持をする事は 100年に 1度と言われる不況の真っ直中では求められて当然のことだけど、今回の話は少しばかり的がズレているような気がしてならない。
そもそも命名権の購入は企業の道楽ではなくて知名度アップの広告塔を期待するものであり、つまりは宣伝効果が業績アップを見込んだ先行投資に当たる。
途もすれば命名権の購入がキッカケで売り上げが向上すれば結果的に新しい雇用を引き受ける底力となるかも知れない、と考えるなら分かるが「宣伝をする暇があったら失業者を引き受けろ」と避難するのはどうかと思う。

確かに仕事を失った人達からすれば「そんな金があるのなら・・・」と思う気持ちも分かるけれど、残念ながら仕事がなければ雇用は負担にしかならないのが現実だ。
雇っているだけで業績が上がるという派遣労働者なら喜んで採用して貰えるだろうけど、そんな金の卵は存在しないわけで何かにつけて雇用維持を唱える様を見ていると疑問を感じてしまう。

有無も言わさずに避難したいのであれば、派遣切りなんて行為が許されてしまう派遣契約を認める法律を作った政治家へ矛先を向けるべきだと思う。
丁度良い具合に近いうちに総選挙という形で文句を言う機会が来るわけだし、今は黙って堪え忍ぶというのはどうだろうか。