医師不足 患者の俺に できること2008年12月04日 21時11分06秒

昨日のように突発的な体調不良が襲ってくるのではないかとビクビクしながら作業をしていたのだが、意外なことに何事も起こらず定時を迎えることができた。
作業の方も概ね順調で昨日にグロッキー状態となっていた時間の作業分を少し補える程度に頑張れてホッとしている。
これで何度となく繰り返される欠伸がなければ良かったのだけど、ある意味では病み上がりだから眠いくらいは我慢すべきかも知れない。

実のところ今朝は前日の体調不良が尾を引いていて不安を感じながらの出勤となっていたし、近くに香水のキツいて人が居て気持ち悪くなったりしていた。
そんな事もあって朝の時点で既に不安は確信に近くレベルまで成長していたから、今日に何事も起こらなかった事が軌跡のように感じる。
もしかしたら昨日の記事で愚痴った事でストレスが発散されたのかも知れない。

体調不良で思い出したのだけど、つい先日に朝のニュース番組の中で介護や医療に関わる特集が組まれていた。
俺の母親は生前に看護婦をしていた事に影響されて、前の会社で電子カルテを扱っていたなんて経験から興味をもって見ていた。
しかし、特集と言いながら内容は現状を伝えているだけで何を伝えたいのかさえも分からない悲壮なだけな映像だった。

それだけでもガッカリなのにコメンテーターの発言が下らなすぎて、興醒めどころか怒りさえも感じる場面すらあった。
特に良く聞かれるのは「医者の負担を軽くすべき」という趣旨の発言なのだけど、そのための対策について浅知恵で真剣に考えていないのだと呆れさせられる内容ばかりだ。

実質問題として体制をどれだけ整えようとも絶対的な医師不足の前ではシステムが機能する事さえもままならない。
しかしながら、医師は勉強よりも経験が大切で大学を卒業してもスタートラインにすら立っていない場合さえもある。
そんな一朝一夜で育成できるような存在だけに今から奨学金を出したりといった対策を行っても芽が出るのは 5年も10年も先の話になってしまう。

医師を増やすのが難しいのであれば、患者を減らそうという発想をしてみるのはどうだろう。
特に救急車へ対する認識をもう少し改めるべきだと強く感じる。
先日も電車の中で救急車を呼んだ経験を話している人が居たのだけど、そこで登場した場面は「腕を骨折した時」「やかんのお湯で火傷をした時「「インフルエンザで苦しかった時」と言った感じだった。
俺から見ると救急車を呼ぶ必要がある場面なんて一つとしてなく、胸倉を掴んで下らない事で救急車を呼ぶなと説教をしてやりたいと思ったほどだ。

上記の話だといずれもタクシーを呼んで病院へ向かった方が早く処置を受けられるし、何より救急車である必要性がない。
重度の火傷だったとしても救急車の到着を待つ時間も惜しんで車へ乗せた方が賢明だし、骨折やインフルエンザなんて救急車の中でできる処置なんて殆どない。
俺から見ると無料のタクシー感覚で救急車を使っている気がして腹が立ったというわけだ。

もっとも毎週のように通院予定が入っている俺がいうのも何だけど、これでも可能な限りに通院回数は減らしているつもりだ。
はっきり言ってしまえば、俺の症状に完治は有り得ないから現状が維持できる程度で良いと思っている。
何より担当医が変わってしまう法がよっぽど怖いことだと知っているしな。

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