飼い犬の 思い出満ちる 宵の空2008年10月29日 20時10分20秒

G社長のご家族が犬を飼おうとしているという話があってペットショップへ連絡したりしていた。
今もG社長の自宅が社屋として活動しているから擬似的に犬を飼うような態勢となるかも知れないと思うと少し嬉しい気分になる。
それだけの感情で終わるのなら良いのだけど、昔に飼っていた犬の事を思い出してテンションが下がってしまう可能性を思うと複雑な気分だ。

思い出の大半は楽しい内容なのだけど、体調不良が精神の方へも波及しているようで死んでしまった時の事なんかが先に出てきてしまう。
恐らく隣の家で飼われていた老犬が先日に亡くなってしまった事も悲しい思い出ばかり出てきてしまう要因の一つだろう。

とはいえ、悲しい思い出ばかりを並べていたら飼っていた犬達に申し訳ないので少し楽しかった事でも思い出してみよう。
俺が犬を飼っていたのは小学校の頃で 1頭は俺が拾ってきて、もう 1頭は何かの機会に里親から引き取ってきた。
その当時は両親共に仕事をしていたので俺の帰りを待っていてくれるのは飼い犬だけだった。
学校にも近所にも友達と呼べる存在のいなかった俺にとって、家に居てくれる彼等は救いだった。

夏のような日が長い季節は帰宅してから散歩がてらに近所の空き地へ連れ出して遊んでいた。
その当時はフリスビーを取ってこさせたりする遊びは一般的でなかったから、やっていた遊びの殆どが鬼ごっこだった。
遊び方は簡単でリードを放して好き勝手に走り回っている犬を俺も走り回って捕まえるというシンプルな遊びだ。
話は簡単なのだが、俺は足が遅い事も手伝って相当に苦労させられた記憶が今でもハッキリと覚えている。

捕まえられた時の興奮もそうだけどフェイントなどの作戦が上手く行った時の喜びは一塩だった。
しかも、同じ作戦は何度も通用しなくて何個も新しい作戦を考えては試すというのを繰り返していた。
これで足が速くなってくれていたら文句はないのだけど、残念ながら今もまだ走るのは苦手だったりする。

走ると言えば、小学校の頃に体育の授業でマラソンをさせられた時に飼い犬を連れてきて、散歩の時のように引っ張ってもらえないかと考えたことがある。
そういえば、いにに引っ張られると自分でも驚くほど早く走れて、気持ちよかったな。
その時にどれほどの速度が出ているのか分からないが。空を飛んでいるかのような不思議な感覚を覚えたことを良く覚えている。

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